コラム

第2回 続 菓子屋の息子

第2回 続 菓子屋の息子

「オレにとって、お菓子は食べるものであって、作るものではない。」

 お菓子屋を継がない、と心に決めた私でしたが、お菓子屋以外に何かをやりたいという将来の夢も無いまま、たまたま合格した東京の大学に進学しました。勉強に精を出すわけでもなく、かといって部活動やサークル活動に熱中するでもなしに、今から思えば夢遊病患者のように足元のおぼつかない漫然とした学生生活を送りました。

 いざ卒業の年になって困ったのは就職です。一人っ子として地元秋田に戻りたいとは思っていても、秋田にどんな企業があるかさえも知りません。市役所や県庁を希望する友人たちもいましたが、公務員試験は難関中の難関です。当時の私は(今もそうですが)試験が大の苦手でした。そこで「地元で名が通った企業といえば銀行だ!」という実に単純な発想で、秋田銀行の部長職を務めている親しい友人の父親を頼って、採用の門を叩いてみることにしました。

 友人の父君の口添えが効いたのか、あるいはまた、私自身も気づいていないような長所を親切に見出してくれた担当の方のおかげなのか、昭和54年4月、私は無事秋田銀行に採用されることになりました。

 こうして最初の赴任店である大曲支店を振り出しに、32年間にわたる銀行員としての生活が始まりました。

(次回は、後継ぎのいなくなったお菓子屋のその後について掲載いたします。)

(次回に続く)