コラム

第9回 10年前の決意

 十年一昔(じゅうねんひとむかし)とは、よく耳にする言葉です。改めて手元の辞書を引いてみると、「世の移り変わりのはげしいことを、10年を一区切りとして言う語」との解説が出ています。ちなみに、そのすぐ隣には、十年一日(じゅうねんいちじつ)の語句が並んでいます。こちらの意味は「長い間変わることなく同じ状態であること」、つまり全く進歩の無い状態を言います。(三省堂「大辞林」)

 ところで、今から10年前の3月11日は、東日本大震災が日本を襲った誰もが忘れることのできない日です。実はその同じ月に、私は32年間勤めあげた地元の銀行を退職し、新人の中小企業診断士として新たな歩みを始めました。少し長くなりますが、退職に際して銀行の後輩に託したメッセージをここに紹介させていただきます。

第9回 10年前の決意

『55歳の新人』

 退職を控え、お世話になった方々や、銀行員として経験した様々な出来事に思いを巡られている時、まさかの大地震が起きました。

 犠牲になられた方々、愛する人を亡くされた方々、そして、故郷の復興を願い、被災地や避難先で不自由な毎日を送っておられる多くの方々に、心よりお見舞いを申しあげます。

 震災後の新聞で、バブル崩壊後の日本の社会状況を表した慣用句が、「失われた十年」から「失われた二十年」に、いつの間にか「円滑化」されていたことを知りました。記事は、震災からの復興をばねに長い停滞から立ち上がることができるのか、日本は今重大な岐路に立っている、と結んでいました。
昭和54年の入行以来32年間、私はその三分の二の時間を、失われた時代の雰囲気の中で過ごしてきたことになります。

 「現状に甘えず、自らの能力を出し切っているか?」「自分の都合ではなくお客様の立場で物事を判断しているか?」常に自問自答しながら、55歳の新人として、地域活性化の一端を担うという思いを携え、これからも皆さんとともに歩んでいきたいと思います。

 長い間お世話になった役職員の皆様の今後益々のご活躍を、心よりお祈り申しあげます。

 早いもので、あれからすでに10年が過ぎました。図らずも、新型コロナウィルスによるパンデミックの発生により、この10年間で日本の政治と経済の劣化がことのほか進んでいたことが、国民の目に明らかにされました。地元に目を移すと、秋田県人口の減少は依然とどまるところを知りません。文字通り、十年一日のごとし、の状態と言えます。

 このような逆境の中で、私一人でできることは本当に限られています。謙遜でもなんでもなく、正直な気持ちです。ですが、幸いにも私には10年前の新人の決意が胸に宿っています。これからの10年が正念場です。地域経済再生のために日々努力されている皆さんと手を携えて、一歩一歩、歩みを進めていきたいとの思いを強くしています。